どんだのよ。

ぐぅたら女のぐぅたらな毎日。

3月末に父が亡くなり、葬儀関連も一通り終わりました。
こんなにも早く、お別れがくるなんて考えていませんでした。
父は最期まで治療を選び、生きる気でいました。
父もこんなに早く死ぬことになり無念だと思います。
自分がいなきゃ駄目だと思っていただろうし、私達のことを心配していたと思います。
私も味方がいなくなり、どうなるのかな…自分でもわかりません。
とにかくおばあちゃんの味方でいなきゃとは思っています。
亡くなる当日、家族皆で会いに行きました。
相変わらず「あー」でしたが、話したことに対して返事をくれました。
弟は間に合いませんでしたが、皆で生きてるうちに会えたのはよかったです。
父は時々涙を流していました。
嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか、私はわかりませんでした。
3月初めに、ランドセルや服を見せようと八戸に行ったことがありました。
何でこのタイミングで?と思ったようですが、結局入学式まで頑張れなかったので、この時に子供の後ろに写っている父が最後の写真になりました。
父も喜んでくれて、自分のカメラで写真を撮って欲しいと言ってきました。
この時実家に行っておいて本当によかったなって思っています。
私達も父も子供たちも、いい思い出になったと思います。
遺影は、私の結婚式の時の写真を使うことになりました。
あまり笑顔の写真がなかったなかで、食事会の最後に撮った写真がいい感じで採用になりました。
凄くこっちをみているような写真で、必ず目が合います。
いい写真なのに、見ると涙が出てきます。
そこにいるような気がして、本当はいないのに。
辛さ悲しさが薄れるまではもう少し時間が掛かりそうです。


あと、実家に帰る意味がなくなってきました。
今まで私は、育児が辛くて助けてほしくて実家に帰っていました。
父は暇だからと青森に来てくれたり、子供をドライブに連れていって私に時間をくれたりしてくれました。
祖母も90歳過ぎてますが子供の相手をしてくれたりしてくれます。
母は仕事をしているし、子供の面倒をみてあげようというきがありません。
祖母は車運転できないのでどこかに連れていったり用たししてあげたり、逆に買い物の時お金を払ってもらったりしているので、祖母がいるうちは面倒みてあげたいと思っています。
母親はそもそも性格も違い、話を聞かされているとイライラしてくることが多いので、とにかく合いません。
事務連絡だけで済ませようと思っています。
そんな母から、私が旦那に話をしていることが、苦情にしか聞こえないと言われました。
私は愚痴を聞いて欲しいだけなのに、必ず、全部俺が悪いんだね、が返ってきます。
そんなつもりはないのに。
そっかー、大変だったね〜が欲しいだけなのに。
なので最近は、聞いてほしい愚痴があっても言わないようにしています。
父も亡くなってメールや電話をする人もいなくなり、旦那にも言えず、ママ友がいるわけでもなく、私のストレスは子供に当てるしかないのかなぁ。
そんなことしたくないのにね。
思い描いていた未来は、こんなはずじゃなかった気がします。


嘆くのは自由だけど、何が変わるわけでもないから、それなりに生きていくしかないんだけど。
できるだけ前向きに、なれればいいけどね。